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くすり博物館のちょこっと歳時記
国芳が描いた名医 華佗 (2015.08.28 伊藤恭子)

 華佗(かだ)(?-203)(110-207)は、中国の後漢末期時代の傑出した医学者で、華佗は扁鵲と並ぶ中国伝説上の名医である。薬学、鍼灸の才能があり、麻酔薬・「麻沸散」を使用し外科治療をしたといわれる。手術の様は『後漢書』方術伝に記載されている。
 「華佗 骨刮関羽箭療治図(ほねをけずるかんうのやきずをりょうじするのず)」は『三国志演義』の中の英雄・関羽の武勇伝を描いた錦絵である。江戸時代末期、武者絵の第一人者とうたわれた歌川国芳(くによし)(1797-1861)の作品である。国芳は古今の説話や流行の読本から得た題材を三枚続きの画面を活かして大胆に描き、絵師としての人気はますます高まっていった。
 『三国志演義』によれば、魏王配下の曹仁の城を関羽が攻撃した時に、毒矢を右肘に受け、関羽は毒が骨まで達し動かせなくなった。華佗が関羽の右上腕を二箇所緊縛しその中間部を華佗がメスで切開し手術をした。手術が終わると怒気は傷に触れるから百日は怒らないようにと予後のことを説明し、一包みの塗り薬を置いて華佗は金も取らずに立ち去ったという。
 華佗の疾病治療に際してのカルテは『三国志』の華佗伝などに、数例紹介されているが、診断と治療法がかなり高度なものであったことがうかがえる。日本の医師、華岡青州(1760-1835)は華佗の麻沸散の処方にヒントを得て、麻酔薬・通仙散を作り、世界で最初の全身麻酔下での乳がん摘出の手術に成功することができたのである。
 また、今日に伝えられている中国の体操療法である気功(導引)『五禽戯(ごきんぎ)』を考案したのは華佗である。

※『五禽戯』・・・虎・鹿・熊・猿・鳥の動作をまねたもの

華陀骨刮関羽箭療治図 安政6年(1859)頃
華陀骨刮関羽箭療治図 安政6年(1859)頃
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