蘭山は生涯、本草学の研鑽を積み、教育に力を注ぎました。名声を聞き、人物を慕って入門する者が後をたたず、門人の数は1000人にも及んだと言われています。代表的な門人としては木村蒹葭堂(けんかどう)、山本亡羊(ぼうよう)、水谷豊文(ほうぶん)、飯沼慾斎(よくさい)、岩崎灌園(かんえん)らがいます。
木村蒹葭堂は江戸時代中期の本草学者です。44歳の時に51歳の蘭山のところに入門。蘭山の教えを受け、採薬に励みました。珍しい本や器物を収集したコレクターとしても知られ、詩文や絵画を嗜む文人であり画家でもありました。
『一角纂考』 上下巻 寛政7年(1795)蒹葭堂の代表著作で、鯨の一種であるイッカクについての研究書。
宇田川榕菴は美濃、大垣藩医の子として生まれ、14歳の時に津山藩、宇田川家の養子となりました。『舎密開宗(せいみかいそう)』を始め、西洋科学を取り入れた医学書(内科)、薬物書、化学書を多く著し日本医学の近代化に貢献しました。西洋植物をはじめて日本に紹介したのは宇田川榕菴の『菩多尼訶経(ぼたにかきょう)』(1822年刊行)とされています。
『植学啓原』 木村蒹葭堂著天保5年(1834) 宇田川榕菴著西欧植物学を体系的に紹介した日本で最初の植物学書。
江戸後期の植物学者、化学者、蘭医として活躍。大垣の江馬蘭斎や宇田川玄真から蘭方の教えを受けました。享和2年(1802)蘭山に入門しました。晩年50歳で家督を譲り、84歳で没するまで、自ら山地奥深くに入り、調査・研究活動を徹底的に行ないました。
『草木図説』 飯沼慾斎著安政3年−文久2年(1856-62)原版リンネ(1707-1778)の分類法でまとめられた植物図譜。写生図は、全体図とともに顕微鏡で観察した花の構造や種子の形態まで描かれている。
蘭山の最晩年の門人の岩崎灌園(いわさきかんえん)(1786−1842)が出版した植物図鑑です。24年の歳月を費やして描かれ、これを山草、野草、毒草などに分類して解説されている江戸時代最大の植物図鑑といわれています。
『本草図譜』 96巻 岩崎灌園著天保元年‐弘化元年(1830-44)成立大正5年‐11年(1916-22)刊行
牧野富太郎の代表作である『日本植物図鑑』には、幼少時に読んでいた蘭山の『重訂本草綱目啓蒙』からの引用が数多く見られ、蘭山やその門人たちの業績を彷彿させる記述がみられます。
『日本植物図鑑』 牧野富太郎著大正14年(1925)
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