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まだまだ延びる?日本の平均寿命 (2016.04.22)

 くすりの歴史の話をするときに、過去の時代の平均寿命について調べていて、興味深い事に気がついたので報告します。なお、日本における正式な統計は明治時代からなのでそれ以前は推測ということをご理解いただきたい。

 縄文時代は、稲作がなく定住生活ができなく狩猟採集民の生活のため、食料はどんぐり、くるみ、葛、魚、鹿、猪でした。しかし動物は狩猟できない時が多く、常に飢餓状態だったと考えられています。三内丸山遺跡の出土人骨の推定による年齢は15歳とされています。

 飛鳥・奈良時代になると稲作が可能になり定住でき、平均寿命は30歳まで延びました。稲作の力は偉大でした。ただ、この時代は海外交易が盛んになり、海外から感染症(麻疹、天然痘、マラリア等)が日本に輸入され大流行しました。その名残のひとつが、日本のお寺に多く安置されている薬師如来です。病気を治す力のある、現世利益の性格の強い薬師如来は中国、韓国ではあまり流行しなかったのですが、日本では特に受容されました。時代背景としては当時、麻疹や天然痘のウイルス感染症が大流行しており、感染症には当時の薬草治療では太刀打ちできなかったため、そこでひたすら仏様にすがったのでした。これほどまでに薬師如来が多いのは、当時の感染症の力が強かったことと、聖武天皇が全国に東大寺、国分寺を造営させたときにお寺の仏像は薬師如来を安置させたことによるようです。仏様頼みの医学でした。

 江戸末期になると人口も3000万人まで増加し、平均寿命も45歳になりました。感染症の麻疹、天然痘も定期的に流行しておりました。ただ、平和な時代も続き、徳川家康も医学・薬学に精通しており、大いに奨励したので医学・本草学も発展しました。江戸末期の漢方医は28000人、蘭方医5000人と裕福な階層の人々は医療をうけられました。当時の最高位の将軍の平均寿命は51歳でした。将軍の没年齢と死因をみると、現在であれば助命出来た病気は半分あります。特に、皆さん信じられないと思いますが、脚気は昔は国民病でした。ビタミンB1投与で症状が改善するのですが、科学的な医学が当時はなかったことが推測されます。

徳川将軍没年齢と死因
 名前没年齢死因
初代家康75歳胃がん
二代秀忠54歳胃がん
三代家光48歳脳卒中(高血圧)
四代家綱40歳未詳
五代綱吉64歳はしか→窒息死
六代家宣51歳インフルエンザ
七代家継 8歳急性肺炎
八代吉宗68歳再発性脳卒中
九代家重51歳尿路障害(脳性麻痺)
十代家治50歳脚気衝心(心不全)
十一代家斉69歳急性腹症
十二代家慶61歳暑気当たり
十三代家定35歳脚気衝心(脳性麻痺)
十四代家茂21歳脚気衝心(心不全)
十五代慶喜77歳急性肺炎
出典:篠田達明著『徳川将軍家十五代のカルテ』新潮新書刊 を一部改変

 縄文時代、飛鳥、奈良時代、江戸時代と平均寿命を記載しましたが、現在の我々の平均寿命は男性80.5歳、女性86.8歳です。科学に立脚した医学、衛生環境、国家予算の半分に迫る社会保障費のおかげで、怖い病気の「がん」も「生活習慣」の改善と「検診」でかなりの確率で避けられる時代となってきました。貝原益軒の「養生訓」の運動・粗食中心の生活を取り入れば、「人生90年」は目前です。長寿頌目指して頑張りましょう!

長寿頌
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