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館長のトリビア
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健康おたくのルーツは江戸だった (2014.04.18)

 長寿高齢化を迎えている現在、健康に関する関心は高まるばかりであります。消費増税3%upの理由も増え続ける社会保障費の対応という大義名分で実施されました。またTV番組で、健康番組の放送されない日はないという今日この頃です。いまや、ネット通販(スーパー+デパートの売り上げに匹敵)の上位も健康食品です。日本人の健康に関する関心度の高さ(“健康おたく”)は世界最高峰といえるかもしれません。この由来は何処にルーツがあるのか調べてみたら、どうも江戸時代のようでした。平和な世の中が二百年以上続いた、幕府は「医は仁術」を理念だけでなく実践し、庶民へは養生が浸透し、本草学ブームが一役買っていたなどの理由が考えられます。

 江戸幕府の創業者徳川家康は医薬に大変興味を持ち、薬を自ら調合するほどであった。そのため、江戸時代は医・薬学は空前の発達をとげました。平和であったために、幕府は安心して暮らせる社会を造るべく、無料の小石川療養所を設立したり、庶民に対しても、医療知識の向上として、『重刊太平恵民和剤局方』(諸国の名医の秘法を集め、薬効の洗い直しを行い、有用性の高いものを製剤化した)や、水戸黄門で有名な徳川光圀が藩医穂積甫庵に編纂させた『救民妙薬』(いろいろな家庭医学書)を発刊して人々に医や健康への関心を促しました。

 江戸時代の医師はその多くが開業医でした。生活が豊かな人は開業医に診察してもらい、薬屋で薬を購入することも可能でした。ただ、診療費用は高く、薬屋も都市部以外はありませんでした。医師のいないところや、薬屋のないところに住んでいる人は、地域に伝わる民間療法を活用し、年に一度の配置売薬の行商人から薬を購入して病気を治療しました。このような状況下において人々は熱心に取り組んだのは養生でした。特に、食べるものに気をつける食養生が重要とされました。日頃の生活において摂生を呼びかけた貝原益軒の『養生訓』は当時ベストセラーとなりました。『養生訓』の内容は、腹八分目、心の養生、むやみに薬を飲まない等、庶民にとって具体的な方法が述べられております。

 本草学においても、李時珍の『本草綱目』が入ってきたことにより、多数の本草書が刊行され健康ブームに拍車をかけました。有名なところでは、貝原益軒の『大和本草』、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』があります。また本草学者は勉学の一方法として大都市では、「薬品会」もしくは「物産会」という展示会をひらき、本草ブームを起こしました。有名なところでは平賀源内主催の湯島での「薬品会」の出品数はなんと1300余種にのぼりました。

 江戸時代の健康ブームを支えた“健康おたく”の人々のお陰で、われわれは現在、世界でトップクラスの平均寿命(男性80歳・女性86歳)を謳歌しておりますが、次は、健康寿命(男性70歳・女性74歳)へ挑戦するべきではないでしょうか?貝原益軒も『養生訓』で運動は健康のもとと説いております。
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