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薬の歴史探訪〜莵田野を訪ねて〜 (2009.12.04)

館長です  皆さんは奈良の莵田野(うだの)をご存知でしょうか。推古天皇が紀元611年5月5日にここで薬狩りを行ったと日本書紀に記されており、日本で最初に薬草採取が行われたところです。正にわが国の製薬業発祥の地とでもいうべきでしょうか。当館の展示館入口には、その薬狩りの模様が壁画風に美しく描かれています。かねてより、莵田野とはどんなところか、一度訪ねてみたいと思っていましたが、京都からの帰路、運よくその機会に恵まれました。
 地元の観光ボランティアガイドの方によれば、推古天皇が薬狩りを行ったとされる場所は、諸説があり特定するのは難しいとの説明でしたが、有力候補として「阿紀神社」を紹介されました。莵田野とは、宇陀野であり、阿紀神社のある阿騎野(あきの)のことと考えられるという。阿紀神社は、周りは田畑ですが、高い杉の木で囲まれた古い神社です。社の起こりは、第11代垂仁天皇の時代まで遡るといわれ、境内には能舞台もありました。9月中旬のまだ暑い日でしたが、境内はひんやりとして、一瞬身が引き締まる思いがしました。急にタイムスリップしたような感じになりました。境内から周りをぐるりと見渡すと、小高い山間にこの神社が位置することがよく分かり、薬狩りには最適の場所のように思えました。今から、1400年前に推古天皇はどんな思いで、薬狩りをおこなったのでしょうか。病に苦しむ人々をひとりでも多く救いたい・・・、そんな思いだったのでしょうか。
 近くには、「薬の館」(正式名:宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の館」)があり、くすり看板、百味箪笥、薬研等、当館でも馴染み深いものが展示されていました。この館は、江戸末期に建てられた薬問屋・旧細川家の住宅をそのまま利用しており、建物としても一見の価値があります。因みに、細川家二代目の二女の長男「友吉」はこの館で生まれ、のちに藤沢家の養子となり、藤沢薬品工業株式会社(現アステラス製薬株式会社)を創立しました。「薬の館」から徒歩数分のところには、民間の薬草園としては日本最古の「森野旧薬園」があります。江戸中期の1729年に森野賽郭によって開かれ、280年経った現在でも当時のままに、250種類の薬草が小高い丘の急斜面から上にかけて栽培されています。丘の上には茶室があり、宇陀野を一望することができます。当館の薬草園とは全く異なった趣に感動してしまいました。
 「薬の館」へは、近鉄大阪線榛原(はいばら)駅より、大宇陀行きバスで「大宇陀高校」下車、徒歩10分。ご興味のある方は、一度訪ねられてはいかがでしょうか。

「推古天皇の薬狩り」星薬科大学の壁画(複製)
「推古天皇の薬狩り」星薬科大学の壁画(複製)
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