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ういろう(2005.12.02 事務長)
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事務長です

 事務局長の私は、普段、東京の本社におり、ウェブの打ち合わせで岐阜の「くすり博物館」を月に1回くらいのペースで訪問しています。帰りにウェブ制作会社の方と名古屋駅でお土産を買うのが習慣になっています。その制作会社の方は、打ち合わせ資料を我々に配布してカバンが軽くなった分以上に、「ういろう」を毎回しこたま買って帰ります。そして味を知っているはずの品物でも試食は欠かさないあたりには、ガッツを感じます。

 私は、アルコールで十分なカロリーを摂取しているため、あまり間食をしない様にしていますが、「ういろう」と「すあま」は例外で、つい手が伸びてしまいます。あのモチモチ感がたまりません。

 ところで「ういろう」と言えば、すっかり名古屋の名物と思い込んでいたのですが、本家は小田原とか。昔は「ういろう」と言えば「薬のういろう」が有名で、中国から渡来した陳延祐を初祖とする外郎(ういろう)氏の姓名が語源と聞いてびっくりです。
 陳延祐は元朝時代の官職「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」の「外郎」を唐音で「ういろう」と読みかえて、日本名として名乗ったそうです。

 薬について調べてみると、延祐の子、大年宗奇が足利義満の招きで京都に在住していたおり、中国から持ち帰った家伝の秘薬が「薬のういろう」の始まりで、腹痛、食あたり、咳、痰のつかえなどの薬効が顕著だったことから、当時の帝より「透頂香(とうちんこう)」の名を賜ったそうです。この薬は日本最古の製薬といわれており、今でも小田原の「ういろう」にて買い求めることができると聞いてまたまたびっくりしました。

 ちなみにお菓子のういろうも二代目大年宗奇が外国使節などの接待用に考案したもので、薬の苦い味と対象的だったためかたちまち評判となり、「外郎氏のお菓子」がいつしか「ういろう」と呼ばれるようになったとのこと。

 外郎氏は今から五百年前に小田原に移住し、その以降も薬とお菓子を作り続けているそうです。六百年以上の伝統を誇る薬の効能とお菓子の味を確かめるために一度新幹線を途中下車しなくてはと思っております。

ういろう
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下山信美
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