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自然の脅威(2005.02.04)
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館長です

 昔から恐いものの例えとして、「地震・雷・火事・オヤジ」と言われてきた。最近では、「オヤジ」はその地位をすっかり失墜してしまったが、その他は依然として脅威の対象である。特に、地震は家屋の倒壊や山崩れなどに加え、二次的に火災・津波をもたらし大災害につながることが少なくない。
  2004年は天災の年だった。日本では、猛暑・たび重なる台風の上陸・中越地震とうんざりするほど被害の報道が続いた。そして12月26日のスマトラ島沖地震による大津波は、インド洋沿岸諸国に未曾有の被害をもたらせた。マグネチュード9.0は1960年のチリ地震の9.5を下回るが、チリ地震の死者5,700人に対し、行方不明者を合わせると30万人近くに達するとも報道されている。

 地震は地球の岩盤がのっているプレートが陸の下に沈みこむことによって発生するプレート境界型と、活断層のずれによるものがあるが、津波は前者の場合に起る。日本はユーラシア、フィリピン海など4つのプレートが隣接する位置にあり、その上、数多くの活断層が走っている世界有数の地震国である。
 我が国において史書に現れた最初の地震に関する記述は、允恭天皇5年(416)の遠飛鳥宮付近を震源とする大和河内地震と『日本書紀』にあるが、詳細は定かでない。以後、歴史的に大地震に見舞われた記録は枚挙にいとまがない。安政の大地震(1854年)は東海地震のわずか32時間後に南海地震が起き、いずれもM 8.4と記録されている。さらに、その1年後には安政江戸地震が起きている。大正12年(1923)9月1日11:58に発生した関東大震災は、地震による倒壊などに加え、昼食の準備時であったため多数の火の手があがり、相模湾岸などには津波が押し寄せ、死者・行方不明14万2000人を数えた。被害総額は当時の国家予算の1年4か月分に達したと言われている。さらに、この時にはデマが流布し多数の朝鮮人が殺される悲劇まで加わった。

 今、東南海地震が何時起きてもおかしくないと警告されている。1605年の慶長地震、その102年後の宝永地震(1707年)、さらに147年後の安政地震(1854年)はいずれもM 8以上の大地震である。それからすでに150年が経っている。
 1月17日に、犠牲者6,433人、全半壊家屋25万戸、被害総額9兆円を越えた戦後最大の阪神・淡路大震災から10年目を迎えた。余談だが、筆者の次男・三男もその時神戸に在住し地震に遭遇したが、幸いにも両人とも無事だった。
  日頃、行政当局は大地震に備えるよう指導し訓練しているが、中越地震やスマトラ島沖地震の被害を見るにつけ、科学が進歩した現在においても、人が自然に対して如何に無力かつくづく思い知らされる。多数の犠牲者に、合掌。
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