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館長です

 米国で狂牛病(BSE、牛海綿状脳症)の牛が発見され、米産牛肉が全面的に輸入停止されたのは、昨年12月24日のことである。程なく吉野家をはじめとする街の牛丼屋から牛丼が消えた。最近になり、内閣府の食品安全委員会による「生後20ヵ月以下の感染牛を検査で見つけるのは困難」との報告を受け、厚生労働省と農林水産省は20ヵ月齢以下の牛を検査対象から除外することを提案したが、国会でも喧々諤々の議論を巻き起こしている。また、それに伴い、米産牛輸入再開について日米の協議が続いている。

 肉食が主の西洋人に比べ、日本人は植物性食物が主であったため腸が長いと言われている。果たしてわが国における肉食は歴史的にどうだったのであろうか。明治初期に文明開化のシンボル「牛鍋」が話題となったが、それ以前の日本人は、四つ足の動物の肉はほとんど食べなかったという。海に囲まれた日本では魚介類で動物性たんぱくがまかなえたこともあるが、仏教思想の影響が大変大きいと言われている。縄文時代の貝塚からは、貝殻に混じり熊・鹿などの骨が出土していることから、その時代は動物の肉を常食していたらしい。
 牛・馬・犬・猿・鶏の肉食を禁じたのは、熱心な仏教徒であった天武天皇(676)である。しかし、この禁令はあまり守られなかったようである。聖武天皇成長までのワンポイントリリーフとして登板した女帝・元正天皇も犬・鵜・鶏・猪の飼育を禁ずる詔(721)をだしたが、やはり守られなかった。聖武天皇は天平17年(745)、赤班瘡(あかもがさ、天然痘)の大流行を沈静化するための大仏鋳造にあたって、家畜屠殺を禁じ鵜飼・鷹狩の禁止を命じたが、一向に守られなかったという。当然であろう。美味しいものはそんな簡単に止められない。
 度々の禁令にも拘わらず止められなかった肉食も、平安後期になり、阿弥陀如来への信仰が高まり、極楽往生の後生を願うあまり、戒律を守り、殺生を避け、獣肉は勿論、鳥魚の類まであまりとらなくなった。そのため、栄養障害をおこすものが少なくなかった。腰の病で足腰立たなくなった尼さんが、医師から肉食を勧められたにも拘わらず、頑として聞き入れず念仏を唱え死亡した。精進物ばかり食べていた藤原道長は重い眼病に罹り、医師などから魚を食べることを勧められ、やむをえず仏に50日間のお目こぼしを願い出た・・・等々の裏話が残っている。ちなみに、当時、牛乳や乳製品は薬用として用いられた。

 牛丼がメニューにない牛丼屋は、コーヒーのない××××みたいなものである。筆者は決して牛丼が好物ではないが、今や、日本の代表的食文化の一つに数えられる牛丼が、安全と安心をクリアーした上で復活することを祈っている。
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