華陀骨刮関羽箭療治図 安政6年(1859)頃
武者絵では第一人者とうたわれた歌川国芳(1797〜1862)が、三国志の英雄・関羽の武勇を示す物語の一場面を描きました。毒矢にあたり赤くはれ上がった関羽の右上腕を二ヶ所で緊縛、その中間部を伝説の外科医の華陀がメスで切開してます。壷をもって血や膿をうけている弟子の顔が関羽の腕のむこうに少し見えます。関羽は馬良相手に囲碁をうちながら、落ち着きを払って物事に動じない様子であるものの、顔の表情は緊張そのもの。周囲の人々は関羽の豪胆ぶりに驚いています。