『解体発蒙』文化10年(1813)
享和2年(1802)に、京都で蘭方医・萩野元凱(げんがい)(1737-1806)の門人らが行った解剖に参加した三谷笙洲(しょうしゅう)(1755-1823)がその時の所見にもとづいて著したもの。笙洲は解剖を肯定する漢蘭折衷派の漢方医でした。さらに『解体新書』『医範提綱』や西洋解剖書も参照しました。