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「東京勧業博覧会全図」
「東京勧業博覧会全図」

画像と解説
守田治兵衛って、どんな人?  

守田治兵衛(九世:1841-1912)は江戸で1862年(文久2)宝丹を発売しました。その後、1871年(明治4)には大学東校で宝丹の売薬免許を獲得、1874年(明治7)には販売許可をもらいました。

【売薬免許制度を利用】
明治時代には、従来の売薬よりも新たに入ってきた西洋薬を尊ぶ風潮が生まれたのね。でも守田治兵衛は政府の免許をいち早く取得することで、宝丹と他の製品との違いを際立たせようとしたのよ。

【新聞広告の利用】
明治時代には新聞が発行されるようになりました。そこで、新聞に広告を掲載し、さらに地方の取次店を通じてちらしを配布し、名前が知れ渡った上で製品を販売したそうです。すごくじょうずな宣伝方法だと思わない?

【PR誌の活用】
なんと明治時代にもう『芳譚(ほうたん)雑誌』という広告誌を作ってしまったんですって。なになに、毎月6回発行、1冊が20ページで1冊5銭。前払いで、まとめて買うと割引あり。ふむふむ。これは薬屋さん向けのものかしら?

【デザインの活用】
守田治兵衛は、自ら“宝丹流文字”という味のある文字を書いた人で、それを製品名や店名のロゴデザインにしたんですって。自分で看板や広告の文字を書いちゃうなんて、すごい才能ね。それに近くの商店から頼まれると同じ“宝丹流文字”で看板や広告をデザインすることもあったそうよ。これは、その文字を見た人に宝丹を思い出させる作戦だったかも?


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