エーザイの歴史70th - History of Eisai -

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エーザイの歩み

研究者15名の小さな研究所から、世界製薬トップ20のグローバル企業へ。時代の変化に対応しながら発展を遂げたエーザイの歴史を、読み物形式でご紹介いたします。

第1章 エーザイ創業前史 1911(明治44)年~1937(昭和12)年

輸入薬頼みだった日本に新風を。新薬開発を目的とした、「桜ヶ岡研究所」を設立。

1889(明治22)年8月15日、山に囲まれた福井県丹生郡糸生村で、内藤菊次とふじの間に第6子(3男)が生まれた。エーザイ創業者・内藤豊次である。その豊次のキャリアは、薬とは何ら関係がない、大阪の貝ボタン工場から始まった。…

(左写真)桜ヶ岡研究所社員一同<1940(昭和15)年>

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第2章 日本衛材株式会社の船出 1938(昭和13)年~1954(昭和29)年

日本衛材の船出。戦後の混乱期を新薬開発で乗り越えた。

桜ヶ岡研究所は1938(昭和13)年、小麦胚芽油から抽出した日本で初のビタミンE剤『ユベラ』を開発したのをはじめ、生理用品『さんぽん』、薬用香粉『らへんで』などを世に出した。この頃、桜ヶ岡研究所の工員は74人に膨れ上がり、三河島の敷地では手狭になっていた。…

(左写真)意気盛んな日本衛材の研究所員たち<1953(昭和28)年頃>

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第3章 経営基盤の確立 1955(昭和30)年~1965(昭和40)年

常に高い目標を掲げることで名実ともに中堅医薬品メーカーの地位を確立。

『チョコラ』などのヒット商品の開発により、戦後の混乱期を乗り越え、急成長を遂げていったエーザイは、その売り上げ規模では、まだ新興の医薬品メーカーにすぎなかった。1956(昭和31)年、さらなる飛躍をめざして、エーザイ初の長期計画「三六計画」が発表された。…

(左写真)創業精神を具現化したシンボルマーク

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第4章 高度成長の時代 1966(昭和41)年~1975(昭和50)年

アジアへの進出で国際化への第一歩。独創的な新薬開発で国内成長を支える。

エーザイがかつてない急成長を遂げる中、1966(昭和41)年5月14日、その舵取りは新社長の内藤祐次に託された。この時期、日本は高度経済成長と国際化の時代にあり、エーザイも国内では…

(左写真)左から社長・内藤祐次、会長・内藤豊次、専務・内藤達雄

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第5章 大型設備投資の時代 1976(昭和51)年~1986(昭和61)年

開発・生産・販売拠点を整備し世界市場への進出をめざす。

1970年代、当時、健康と安全に対する意識の高まりから、老化や成人病予防のビタミンとして注目を集めていたのがビタミンEであった。エーザイはビタミンEのパイオニアとしての自負と誇りをかけて『ユベラックス』を1977(昭和52)年に市場に投入した。…

(左写真)筑波研究所<1982(昭和57)年頃)>

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第6章 世界の製薬トップ20へ 1987(昭和62)年~2001(平成13)年

めざすべき21世紀の企業像は研究開発ベースのhhc(ヒューマン・ヘルスケア)企業。

1987(昭和62)年、日本経済がバブル景気に沸き国際化が合言葉となる中、エーザイは、1988(昭和63)年4月の内藤晴夫社長の就任を機に、「世界製薬トップ20社入り」をめざし、次なる長期計画の時代にはいった。この時、エーザイは世界30位の製薬企業となっていた。…

(左写真)アリセプト発売記念大会<1997(平成9)年2月、米国アトランタ>

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第7章 21世紀、新たな飛翔に向けて 2002(平成14)年~現在

イノベーションと医薬品アクセスの向上により世界の患者様への貢献。

21世紀に入り、世界製薬トップ20社入りを果たしたエーザイは、『アリセプト』と『パリエット』の貢献で海外事業が飛躍的に成長し、2002(平成14)年には海外売上高比率が初めて5割を超えた。この時期、欧州では、英国、ドイツ、フランス、スペインの主要4カ国に続き欧州全域をカバーする販売網の拡大に乗りだす。…

(左写真)エーザイ・ナレッジセンター・インド(原薬研究棟)

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